義父が残してくれたもの

11月26日(金) AM5:31
義父が息を引き取った。

心臓が弱まっていると連絡を受けて
家族全員が駆け付ける15分前だった。
誰も間に合わなかった。

この日は本当なら退院するはずだった。
病院にいても治療ができないなら、早く自宅に帰りたい。
義父はずっとそう言っていた。

義母はそんな義父の想いに応えるべく、自宅療養に向けて
色んな機械の操作を必死で覚えていたところだった。

一人では歩けない義父の為に、車いすや可動式のベッドなど
介護の為の道具一式は揃っていた。

でも昼間はともかく、夜は義母一人では心細いだろうと
主人がしばらく実家に帰る段取りをしていた。

実家から主人の会社までは自転車で10分程の距離。
もし昼間に何かあっても、すぐに駆け付ける事ができるから。
その為に、ずっと使わずに放置していた折りたたみ自転車を
実家に運ぶつもりで、その週末には整備しようと話をしていた。

緊急事態に陥ったとしても延命処置はしない事になっていた。
だから、ガン末期である義父の余命は限られていたけれど
できる限り、一日でも長く生きていてほしい。

主人は礼服を持っていなかったから、こういった事は
早めに準備していおくと、死期が延びるという
根拠のない言い伝えにもすがるつもりで
それも週末に買いに行こうと話をしていた。

その矢先だった。

あと数時間もすれば、大好きな自宅に帰る事ができたのに。
せめてあと15分待ってくれれば
私達が最期を看取る事もできたのに。

でも朦朧とした意識の中では、家族の誰とも会話はできない。
義父はわかっていたんだろうか。

同じ週の月曜日、痰が喉に詰まって窒息した義父。
もうダメかもしれないからと連絡が入って
義姉一家と私達一家の全員が駆け付けた。

以前は、イベント毎に全員が集まっていたけれど
義父が入院してからは、ほとんど集まる機会がなかった。

久しぶりの全員集合。
ナースステーションの中にある観察室が、私達家族で溢れ返った。

幸い、痰を取り除くなどの処置をしてもらって
義父は命を取り留めた。

薬のせいで、少し幻覚症状はあるものの
起き上がってベッドの上にあぐらをかいて座り
私達の顔をしっかりみつめてくれたし
ほんの少しなら会話もできた。

でも結局、全員が揃って義父と顔を合わせる事ができたのは
その日が最期だった。

もしかしたら、義父は自分の死期を悟っていて
自分がまだ少し余力が残っている内に
全員が集まれそうな日をきちんと選んでいたのかもしれない。

医師や看護師の話では
ほとんど苦しまずに亡くなっているだろうという事。
確かに、ただ眠っているような穏やかな顔をしていた。

義父が唯一心を許していて、我儘を言って甘えていた人は
義母だけだった。

そんな義母に、最期ぐらいは迷惑をかけずに逝こう
義父はそう思ったのだろうか。
自宅に帰りたい気持ちをぐっと堪えて・・・。

自宅療養になれば、義母の生活は一変する。
それは避けようと考えたのだろうか。

そんな風に思わなければ、あまりにも早すぎる。

年賀ハガキだって買って用意していたし
年末年始を一緒に過ごすつもりだってしていた。


・・・お義父さん
私は、もっともっと話がしたかった。
だって、まだ12年程しか顔を突き合わせていない。
リーダーと一緒にお酒を飲むんじゃなかったの?

私は、全然いい嫁じゃなかったろうけど
お義父さんの事が大好きだったよ。
お義父さんとFAXでのやりとりも楽しかった。

天国で、大好きな野球チームを作って
思う存分試合を楽しんでね。

そして、遠くから私たち家族を見守っていてください。

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筆マメだった義父は、わかっているだけでも
50年以上前から、ずっと日記を書いていた。
もちろん入院中も。

葬儀が終わった翌日
前日の夜遅くに、やっと自宅に帰ってきた義父と過ごすため
義姉一家など、全員が改めて集合した。

そこで、義父が一番最後に綴っていた日記を
姪っ子ちゃんが涙をボロボロ流しながら読んでいた。

再入院の少し前から始まっている日記。

痰に血が混じっていた事。
肺に水が溜まっている事による胸の痛み。
もう手術はしたくない、入院もしたくない。

そこには、お義父さんの弱音がたくさん綴られていた。

入院してからは、日々変化する体重や
食べたい物や行きたいところ。

その日病院に訪れてくれた人の名前。

お義母さんが病院に来た時間。
『〇〇時〇〇分 ◎子 来る』
『◎子 まだ来ない』

誰よりも我儘が言える相手。
義母が来る事だけを楽しみに待っていた義父。

そんな義父の気持ちが手に取るように感じられた。

そして、皆へのメッセージ。

段々、字を書く事もままならなくなってきて
その事に対する不安も、書かれていた。

実際に、亡くなる2週間程前で日記は終わっていた。

私が、毎日でも病院に行ってあげる事ができたら
代わりに書いてあげられたのに。。。

今更、悔やんでも仕方のない事だけど。

お義父さんが最期に残してくれたメッセージ。
私たちの宝物。
大切に保管しておくからね・・・。

『haguちゃん リーダーとセオを生んでくれてありがとう。』

『リーダーのランドセル姿 見たかった。』

『みんな みんな ありがとう』

『じいちゃんは 世界一の幸せ者です。』

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by hagumi-biyori | 2010-12-04 23:11 | hagu日和